2026.05.22

" 現実は直視する、自分とは向き合う"

 

 

自分と向き合うことは、

他人と向き合い

相手の立場に立って考えることと

密に繋がっています。

 

 

自分と向き合うことは

自分の現実だけ、

自分がうまくいくことだけ

考えるのとは、

思考する層が違うからです。

 

 

そういう意味では

「まずは自分のこと」というのは

地に足が着いているものの

 

 

行きすぎるとバランスを崩し

現実をさらに息苦しくする

可能性を孕みます。

 

 

 

現実は、しっかりと観る。

 

 

常識と比較せず

言い訳せず

新しい説を持ってくることもせず、

直視する。

 

 

自分にとって

何がうまくいっていないのか

 

苦しいのか

実は大したことはないのか

 

もっと欲しい氣がするだけか

現実として必要なのか

 

何が大丈夫で

何が大丈夫じゃないのか

 

不安がないのか

目を逸らしているだけなのか

 

 

「自分にとって」

「自分はどうか」

それを直視する。

 

 

そして自分はどう在りたい?

 

 

どういう人間になっていきたい?

 

 

今までは、

今の「自分にとっての現実」

現状に向かっていく在り方を

していたのです。

 

 

 

もし、心に余裕がなく

自分の現実が

うまくいくことばかり考え、

學び、試してきたとしたら

 

 

それが

今の現実に向かっていく

生き方であり、

そういう人間になっていく

在り方だったんだ。

 

 

 

私は長い間

とにかく経済の巡りが悪かった。

 

 

そうなって然るべき

在り方をしていたし、

言い訳をたくさんしていた。

 

 

市場と合わないとか

リアリストすぎて夢が見にくいとか

キャッチーなことは言えないとか、

あらゆる言い訳を

捏造してきたと思う。笑

 

 

けれどもある時

本氣で現実を観た。

 

 

何が必要で

自分に何が足りないのか。

行動が生まれてこないのは何故か。

 

 

やはりね

向き合いたいようにしか

向き合っていなかった。

 

 

目の前のこと

自分にとっての不足

焦り

それでも保ちたい自己像

 

 

それを持ったまま、

そこを変える氣のなまま

現実を変えたがっていた。

 

 

つまり現実を観ない

自分の魂の見ている方向も場所も観ない

 

 

今振り返ると

その状態で生きていた。

 

 

 

そして現実を直視して

自分と向き合うと

 

 

不思議と、

自分一人のことばかりではない

もっと大きくて広い

理念のようなものが

思い出されてくる。

 

 

世のため人のためと

無理に広げる必要がない。

 

 

本來の広さを思い出す、

目の前の現実に

囚われていた視野が

本來の広さに戻るとも

表現出來ると思います。

 

 

 

そうすると

現実への自分の応じ方が変わるので

行動も生まれてきます。

 

 

狭くなりすぎた可能性も

元の無限の広さに戻っていき

「何故これをやってなかった?」

と思ったりする。

 

 

 

そのことを頭と心に置き

現実を観て、自分と向き合う。

 

 

 

人の本來の視野は、魂の視野です。

 

 

人間に生まれる魂は

想像したものを創造する力を

持っているところが、

他の生きものとは違う。

 

 

それによる影響が

良くも悪くも大きいのは

否定しようがない事実ですよね。

 

 

他の動物が

生きる糧を得るために

木の枝を使えるからといって、

彼らにビルは建てられない。

 

 

 

現実に圧倒され

私たちが忘れても、

魂は忘れていない。

 

 

 

だから自分のことばかり考えていて

ふと違和感を覚えたり

罪悪感が湧いてきたりするのは

とても自然なことなので、

変える必要はない。

 

 

 

むしろそれが起こった時は

あなたが本來の道に戻る機会です。

 

 

今を突破して

現実を明るく満ち足りるものに変え、

そこで掴んだ知慧が

周りに明るい影響を及ぼしていく、

本來のあなたに。