" 人間同士、必ず影響し合うけれど "
私たちは必ず影響を受けます。
環境からも人からも
意志の強さとは関係なく
脳の性質上、
またエネルギーの性質上、
影響を受けます。
それがあるから
一人で考えているだけでは
氣付きもしなかった
視点や考え、感情を
人を通して知ることが出來るし
落ち込んだり
右往左往したりして
自分を見失っているときに、
元氣でどっしりと安定している人の
影響を受けることも出來ますね。
自分が誰からどんな影響を
どの程度受けるのかは、
自分の在り方で
決まる部分が大きく
自分はどんな影響を
人から受けたいか
実際に現状、
どんな影響を受けているか
自分と向き合い氣付き、
微調整や大胆な軌道修正を
していくところでしょう。
人間の聖長には
身を置く環境を選ぶことが
非常に重要だと言われますが、
本当だと思います。
同時に、
どれほど環境に恵まれても
環境に任せ
人に整えてもらう在り方では
聖長も現実の変化もない。
例えば素晴らしいと感じる
ブログや動画を観て
「これだ」と思うのは
まだ発信者に任せ
知識、認識の土台や
希望を持てる感情の状態を
整えてもらっている段階です。
占いなどは
もっとダイレクトに
「自分の未來を決めてもらう」
それすら起こり得る。
ここで人から受ける影響の質が
分かれます。
「わかった」
「これが眞実だ」
と思うのか
「じゃあこれを始めよう」
と動くのか。
自分の生きている時間と
脳や手足を使って
実際に「やる」ことをしなければ
人間の経験も聖長もないから、
ここで大きく未來が分かれる。
「これだ」
と感じた時の高揚感は
自分にも覚えがあります。
けれども
自分の実践と
結果の回収がない限り、
それは未だ『仮説』に過ぎない。
いかに直感が正確であっても、です。
体験がなければ体感がない
体感がなければ経験にならない
経験がなければ
意識が塗り替わることはなく
意識が塗り変わらなければ
新しい見え方、
これまでとは違う
新しい人生の体験はない。
人間は、
人にやってもらってでも
樂をしたいだけ
樂に生きたいだけの
生きものではないと思います。
それなら日本に生まれただけで
満たされている人の割合は
もっと高いでしょう。
衣食住が足りているのに
心が満たされない、
心の飢えや渇きに苦しむ人が
こんなにいるのは何故なんだ、
ということになります。
人間は、なりたい自分に
なれる道を自分で作って、
ありたい在り方を見つけて、
実際に歩きたい生きものだと
私は思います。
人間同士、生きもの同士、
そのためにお互いに
學び合い、整え合うことが出來る。
それを実現するための
素材と能力は
魂が持ってきていて、
それを実際に使うのは身体です。
氣付き、
希望を垣間見た高揚感を
実践の燃料として使わなければ、
時間と共に感情の温度は
下がってしまいます。
その高揚感は
救いを見つけた
盛り上がりや
知っただけで変わった
刷新の感覚ではなく
自分の歩む道を作る
新しい素材や作り方を発見し、
道が見えてきた希望です。
自分自身の直感が
確証ある未來の展望を
伝えてきた合図とも言える。
生きもの同士が
与え合う影響を希望に、
希望を、燃料に展望を実現する。
その明るいサイクルを
生きている間に
たくさん経験出來ますように。