" 自分の道に集中する "
自分の先生について思います。
期待に応えてほしいとは、
思っていないだろうと。笑
人に講義をする立場としても思います。
出來ている、出來ていないではないと。
先生は、何が大切か
自分が何を大切にして
生きているかを
「先を生きる」人間として
伝えてくれる。
先生と生徒は
全く違う人生を生きていても
何かしらそれぞれの道に
重なるところがあるから、
その関係にあるはずだ。
自分が聖長し
人生を先に進めるために、
必要なことは何か。
必要な思考は?
見方は?
視野を広げるには?
何故自分は止まっている?
先生は経験からの知慧を授け
自分の客観的な位置を見て、
自分で氣付ける助言をくれる。
この進み方でいいのか?
自分は本当に聖長出來ているのか?
頑張っているけど
空回りしているんじゃないか?
人間なら必ず湧いてくる不安を
経験者として理解し、
見分けてもくれる。
先生は、先を生きる人。
本物の先生とは
その道を先に生きた経験、
つまり大切な人生の一部を
分け与えてくれる人だと
私は思います。
知慧というものは
人が必死に生きた
時間と想いの結晶。
それを伝えてもらうこと
知慧をもって
対話をしてもらうことは
たとえプライベートの
何氣ない会話だと
自分が思っていたとしても
多大な時間と想いを、
人生を懸けたものを、
与えてもらっているのと同じです。
だから時に厳しくとも
今の自分には難しい、
押しつぶされそうだと
感じることがあるとしても
その方が本物の先生であるなら、
それは深い愛から生まれた
厳しさという優しさです。
自分が好かれるか、
自分の言うことを聞くか、
自分の氣持ちよさや
得への思いは無い。
それを常に感じ
受け取れる自分かどうか。
言葉の奥を見られる自分かどうか。
もっと深みを受け取れる自分であれ。
いつもそう思います。