自分と向き合うことは
無意識のうちに
「必要な時にやること」
と解釈されやすい。
もう一つ多いものは
「感情に潜る」
という解釈で、
これは自分と向き合うことを
苦行にする原因になる。
けれども実際の
自分と向き合うこと、
その本質は
「日常の自分を見ること」
にあります。
365日、24時間
自分を観測する習慣。
観察する、というと
アサガオを見つめるように
時間がかかるニュアンスを
感じるかも知れないから
観測する、という感覚でいいと思う。
大きく感情が
揺さぶられることが起こったり
想定外の事態に直面したり、
過去の負の感情が湧いてきたり
「そうなったから向き合う」
ではないということです。
自分にとって
大きな出來事や
悲しみ、苦しみに対する
自分の在り方、向き合い方は
日常の自分と
ほとんど変わりない。
私たちは
そこまで器用ではないらしく
日常の自分が
わかりやすく表れている
とも言える。
だからこそ
日常の自分を知らなければ、
突発的なことや感情の衝撃に
対応することが難しくなります。
自分で対応しきれない
負荷を逃すために
相手のせいにする、
それを正義と言い換える
という選択が習慣になることも
とても多く起こっています。
自分を観測する
自分を見る
怖がらず
ありのままに見る
見えているものを
もっと細かく見る
自分にとっての意味を
深く探ることは、
回数を重ねるたびに
ハードルが下がり、
精度が上がる特性がある。
必要に迫られ
向き合おうとしたとき、
経験不足に直面するのが
私たちの現実です。
その現実の観測から
逃げなかったとき、人は
自分と深く向き合う道を
選んでいるのかも知れません。